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2021年4月27日

若手社員の「人事評価への不満」と向き合うには

 この時期、新入社員の受け入れもひと段落し、早期戦力化に向けた人材育成プログラムを実践している企業も多いことかと思います。新入社員の方も入社当初の緊張感から多少解放され、少しずつ職場環境に馴染んできた時期かと思います。
 毎年この時期になると、多くの職場で新入社員談義が活発化します。「今年の新人は~。」、「うちの職場に配属された新人は・・・」新入社員に視線が集中し、職場全体で寄ってたかって新入社員の面倒を見る光景は清々しいものです。
 昨今の新入社員含めた若手社員の傾向として、知識や興味に偏りが強すぎると言われることがあります。自分の好きなことや興味・関心がある分野についてはかなり高度な知識を持っていますが、好きでもなく、興味・関心が薄い分野については一般常識レベルの知識すら怪しい場面があると言われます。また、個々人で比べれば、中高年世代よりも博識な若手社員は結構いるでしょうが、若手社員を集団(世代・グループ)として比較してみると、上の世代よりも相対的に無知です。
 最新技術とか時々の流行など知っていることもかなりありますが、時を超えた普遍性を持つ世界に関する知識や、自分自身に関する認識については、年を重ねるにつれ経験を積んで知識を積み上げていくわけですから、中高年世代の方が知見が豊富であることはある意味必然です。 
 ただ、無知であることが一概にダメだということではありません。知恵がつくと怖くてできないことでも無知だからこそ可能となることもあります。明治維新を成功させたのも20代の若手志士です。また、無知だからこそに新しい発想も湧きやすいと言われます。知識があればそれに囚われて、発想が既存の枠組みから抜け出せません。ともあれ、若手社員は、良くも悪くも「無知な世代」と言ってよいでしょう。
 さて、この「無知」は多様性を生み出しますが、その中で最も大きなものは「自信」ではないでしょうか。「無知だからこその自信」。例えば、ダーウィンは「無知は知識よりも自信を生み出す」と言及しました。シェイクスピアは「愚か者は自身を賢者だと思い込むが、賢者は自身が愚か者であることを知っている」と語りました。つまり、多くのことを知る(知識を獲得する)と謙虚になるが、何も知らないと自信家になるとでもいうことでしょうか。
 同様のことが心理学でも確認されています。能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚を生み出す認知バイアスが発見されており、これを研究者の名前を取って「ダニング=クルーガー効果」と言います。要は、能力の低い人は、自分の能力を正確に推定できず、能力不足を認識できない。このことと人間が本来持っている防衛本能が組み合わさると「無知さゆえの自信」になっていくのでしょう。
 この「無知だからこそ自信」は、決して悪いことではありません。思慮分別のある中高年が、「無理だよ」と簡単に諦めることを、若手社員は、無知さゆえに無謀に飛び込み、やってみて、その結果、意外にも成功したりする。このようにして世界は進歩していくというものです。ですから、よく中高年が息巻いて言いますが、「自信満々なあの若手の鼻を一度へし折ってやらないとな」などど言っていてはいけません。逆に若手の無知さを利用してナンボと考えるべきでしょう。
 しかし、これが人事評価の場面においては問題になる場面があります。自分のレベル感がわからず、大抵の場合過大評価をしているので、もし、実態通りの評価がついたら自己評価とギャップが生じて不満が生まれ、不満から予期せぬ行動に出てしまいます。評価の不満は、ややもすれば退職にもつながるような重大な問題です。放置しておくわけにはいけません。だからと言って、せっかくの自信を打ち砕けば良いわけでもありません。大変難易度の高い問題と言って良いでしょう。
 ではどのようにこの難問に対処すれば良いでしょう。若手が自己評価を実態以上に高く誤認してしまう理由のひとつは、人事評価の根本が「相対評価」であることをわかっていないことです。自分が目標としていたことを達成できればOKであると考えてしまうのは自然でしかたがないことですが、本来、人事評価というものは限界ある報酬(賃金)原資の取り分を決めるものですから、「自分がどれぐらいできたか」という絶対評価ではなく、「他者と比べてどれぐらいできたか」という相対評価が基本です。
 これまで述べたようにそもそも自信過剰な若者が、自分の仕事の出来しか見ていなければ、自己評価が高くて当然です。ですから、「あなたは、この人たちと競争しているのですよ」と、リアルに相対評価の対称群となる人たちを示してあげるべきでしょう。そうすれば、自分の仕事にベンチマークができます。自分では「結構できた」と思っていても、横を見ればもっと頑張って成果を出している人間がいる。それがわかれば「まずい、もっと頑張らねば」となるはずです。
 若手の自己評価が高くなってしまう、よくあるもうひとつの理由は、目標設定のレベルが低すぎることです。昔と違い、今は「褒めて育てる」がベースになっています。そのために、目標設定はロー・ハンギング・フルーツ(低い位置にある果実)といって「ちょっと背伸びすればできる」レベルにすることが多いです。そうなれば、当然、「ちょっと背伸びして」目標達成してしまう。そして褒めちぎられる。このこと自体はモチベーションは上がるでしょうが、自己評価の観点からはこんな手法に頼りすぎていては誤解して当然です。
 むしろ、自己評価の高い人であるなら、それを上手に逆手に取って、「君ならこれぐらいできそうだと思うけれども、できるよね?」「はい、もちろんそれぐらいできると思います!」「そうか。さすが。では、これぐらいを目標に設定してみるか」と、高いレベルの目標設定をすることも重要です。そして、成功すれば報いてあげれば良いし、そうでなければ、「残念だった」とすれば、目標に達成しなかったわけですから、文句も出ないでしょう。
 最後のひとつは、褒め方です。若手が何か成果を出したときに、褒めることはもちろん良いのですが、「さすができる人は違うねえ」とか「天才!素晴らしい!」とか言っていませんでしょうか。実は、このように「能力」を褒めるのはあまり良くないようです。
 ドゥエックの研究によれば、能力の高さを褒められると、その評価を下げることに恐怖を抱き、新しいチャレンジを避けて、先の「ロー・ハンギング・フルーツ」ばかりを狙いにいくようになることが知られています。能力に注目することで、成果をもたらしたのは(努力ではなく)能力というそもそも持っている(つまり固定的な)ものである、と考えるようになるということでしょうか。能力を固定的なものと考えるのであれば、少しでも低い評価をされればそれを守ろうとして無意識的に反発し、「それは相手の評価のほうがおかしいのだ」と考えてしまうかもしれません。
 一方で、コントロールしやすい努力のほうを褒めることで、「自分の意思で成果はなんとでもなるし、成長するかどうかも決まる」という意識になるとのことです。低い評価を受けた際にもそれを自分の能力に起因すると考えるのではなく、「もう少し努力すれば良かった」「やればできたかもしれない」と考えることで、その評価を受け止めやすくなることでしょう。
 若手社員の自信過剰さは特権であり、それ自体価値あるものだと思います。しかし、この「根拠のない自信」は、中高年になると現実にまみれて、どんどん失われていってしまいますので、下手すると、無意識に自信ある若手を妬ましく思う気持ちになってしまうのではないでしょうか。その気持ちに気づかずにいると、未熟で無知な若手に、そのままの現実を見せつけてコテンパンにして潰してしまうオッサンになってしまいます。自分も昔は自信過剰な若手だったわけですから、大人である我々はもっと鷹揚に若手社員を受容してあげてほしいところです。
経営統括本部長・組織人事コンサルティング部長 岡田英之

経営統括本部長・組織人事コンサルティング部長

岡田英之

1996年早稲田大学卒
2016年東京都立大学大学院 社会科学研究科博士前期課程修了〈経営学修士(MBA)〉
1996年新卒にて、大手旅行会社エイチ・アイ・エス(H.I.S)入社、人事部に配属される。
その後、伊藤忠商事グループ企業、講談社グループ企業、外資系企業等において20年間以上に亘り、人事及びコンサルティング業務に従事する。
現在、株式会社グローブハート経営統括本部長、組織・人事コンサルティング部長、グループ支援部長
■日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員
■2級キャリアコンサルティング技能士
■産業カウンセラー
■大学キャリアコンサルタント
■東京都立大学大学院(経営学修士MBA)