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2026年5月14日

「ビッグステイ」

 「ビッグステイ」という言葉をご存知でしょうか?転職せず同じ会社で働き続ける労働者の賃金上昇率が転職者を上回る現象のことです。特に米国では顕著で、2023年にADPという人材サービス企業の所属するエコノミストが提唱したのが始まりと言われています。
 日本でも近い将来こうした現象が垣間見えると言われます。某大手就職情報サイトのアンケート調査結果では、「ビッグステイ」的傾向が日本企業でも見られると回答した企業が50%を超えています。背景として、「ここ数年で、新卒採用の初任給上昇を顕著に賃上げが続いてきた結果、労働者の方も安易な転職に伴い発生するコストやリスクに慎重になっている」とのことです。

組織・人事マネジメント実践家の岡田英之の視点からコメント致します。

1.背景には根強い昭和的賃金体系がある
 
同じ会社で勤続を重ねることで賃金が上昇したり、役職(ポジション)が上がったり、賞与(ボーナス)金額が増えたりする背景には、昭和的賃金体系があります。昭和的賃金体系とは、俗に年功序列的運用と揶揄されがちな職能資格等級制度を基軸とした賃金、評価、昇給・昇格制度のことです。職能資格等級制度は、本来、能力(この能力という表現にも多事争論ありますが、ここでは敢えて触れません)に基づいた等級資格に応じて処遇する制度なので、必ずしも年功序列的運用にはなりません。しかし、評価の難しさ、メンバーシップ型雇用による適材適所、新卒一括採用、画一的な人材育成制度、未整備な外部労働市場などと相俟って結果的に同じ会社で勤続を重ねる方が処遇面でメリットがあるように感じてしまいます。更には、職場内で長年蓄積してきた人間関係(ネットワーク)も処遇以外の面で便利で役に立ったりする場面もあります。
 転職市場では、ジョブ型的採用が多く、能力・経験・スキルレベルに応じてポジションや役割に値段が着く世界です。転職後の昇給や昇格、評価においても、市場原理に晒される場面が多くなります。労働市場が公正(フェア)機能していれば、ジョブ型的働き方も悪くないのでしょうが、実際経験してみると、歪みや不合理な場面に数多く出くわします。更にジョブ型的働き方では、常に自身の市場価値と睨めっこしなければならず、ストレスが溜まったり、燃え尽き症候群に陥ったりすることもあります。
 メンバーシップ型とジョブ型、両方のメリットが活かせる働き方が理想なのでしょうが、実際は、グラデーションがある世界です。

2.「ビッグステイ」の前提は生涯獲得賃金

 「ビッグステイ」について、注意しなければならない点があります。それは、中長期的視点で賃金や処遇のメリットを考えるという視点です。わかりやすい指標で言えば、生涯獲得賃金の差になります。企業規模や業種、職種によっては同じ会社で勤続を重ねるよりも市場価値を意識し、ジョブ型的働き方で賃金を上げていく働き方の方が、生涯獲得賃金が高くなります。更に、若年世代(20~30歳代)においては、勤続を重ねることのメリットが享受しにくいです。これは、昭和的賃金体系の特徴として、賃金の後払い的性格や、勤続比例の退職金制度が影響します。他方、ミドル以上の年代(40歳代以上)においてはメリットを享受しやすくなります。企業規模1000人以上で、大卒男性の生涯獲得賃金は約3.11億円、女性では2.51億円と言われます。本業フリーランス(個人事業主)の年収分布では、300万~500万円が多く、全体の91.5%は年収1000万円以下とも言われます。(個人企業経済調査)

3.「静かな退職」との関係も

 「ビッグステイ」と同様「静かな退職」も話題を呼んでいます。実際に会社を辞めるわけではなく、与えられた業務の範囲内で働き、過度な努力や残業、昇進を目指さない働き方を指します。こうした働き方においてもビッグステイ的なメリットが得られるということでしょうか。昇給や退職金、賞与、役職登用基準に勤続的要素が入っていたり、長期勤続表彰制度があったりする企業では、静かな退職者でもビッグステイ的メリットが享受できてしまいます。こうした現実を人事制度上の課題と認識し、是正していくか否かは各社の人事戦略課題です。

 今回、「ビッグステイ」を取り上げましたが、興味深いのは米国発という点です。既に日本の労働市場にも流入しつつありますが、幸か不幸か昭和的賃金体系にマッチしてしまうという現実があります。この現実を不都合な真実と判断するのか、リテンションマネジメント(優秀人材の引き留め)の一環として活用し、自社人材戦略を見直すのかはこれからの注目点です。


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経営統括本部長・組織人事コンサルティング部長 岡田英之

経営統括本部長・組織人事コンサルティング部長

岡田英之

1996年早稲田大学卒
2016年東京都立大学大学院 社会科学研究科(現在は経営学研究科)博士前期課程修了〈経営学修士(MBA)〉
1996年新卒にて、大手旅行会社エイチ・アイ・エス(H.I.S)入社、人事部に配属される。
その後、伊藤忠商事グループ企業、講談社グループ企業、外資系企業等において30年間以上に亘り、人事及びコンサルティング業務に従事する。
現在、株式会社グローブハート経営統括本部長、組織・人事コンサルティング部長、グループ支援部長
■日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員
■2級キャリアコンサルティング技能士
■産業カウンセラー
■大学キャリアコンサルタント
■東京都立大学大学院(経営学修士MBA)